元叟行端 偈頌 げんそうぎょうたん げじゅ

元叟行端 偈頌
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鶴田 純久の章 お話

元代禅界一方の雄、元叟行端が曇幽という禅僧に与えた。
「お主は悟りを開こう仏性を把得しようと骨を折っているが、お主の骨折り方は間違っている。仏性すなわち仏をどこか日常生活と違う別な世界にあるものと思っているらしいが、仏性は〈昭々として日用の間〉に働いているのだ。それがわからないのは、お主が主観と客観、是と不是との対立する相対の世界から超出できず、相対的な眼で絶対者をみようとしているからだ。〈是も無く不是も無く>主観も客観もない三昧境に入り込め。そうすれば悟りが開けよう。しかしあれこれと思慮分別し推理推論によって知ろうとするならば、仏や仏性の在処から〈千里また万里〉の距りを生じてしまい、禅の修行の目的を達することはできない」というのがこの隅の大意。
元叟行端は法号を景元とも称し、寒拾里人とも自称した。
臨海の出で、11歳のと得度し、のち大慧の法系の禅に帰し法を蔵叟善珍に嗣ぎ、五山第二の北山景徳霊隠禅寺に住し、第一の径山興聖万寿禅寺に移り二十年の長期にわたって住持し、至正元年(1341)88歳で示寂。
曇幽禅人については不明。
隅の内容からみると、これが書かれた至順元年(1330)頃にはまだ修行歴の浅かった禅僧らしい。
松永記念館所蔵の茂古林の墨蹟にみえる幽禅人と同一人物か。
【付属物】外題―玉室宗珀筆添状
【伝来】杉野文左衛門―石川藤左衛門―鴻池家
【寸法】全体―縦117.8 横73.8 本紙縦32.0 横71.9
【所蔵】梅沢記念館

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