重文。
海粟道人あるいは馮海栗の名で知られる元代の文化人で、かつ中峰明本と親交を結んだ大居士の馮子振が、日本僧無隠元晦の卓抜さに感銘し、彼の請いにまかせて揮毫したものである。
「無隠元晦に与る三首の詩」(東京国立博物館蔵)の一軸とともに、無隠が当時名声高い海栗道人馮子振からいかに重んぜられたかを語って余蘊なく、また馮子振の文才と書風とをみるべき好個の資料である。
「大瀛」は大海、「朝・最霞」は朝日と朝霞、「晴瀾・媛漲」は清らかな波と温い潮、「英角奇猟」は才能すぐれ気骨ある士、「儒門澹泊」とは儒教は世俗の実践道徳を説くだけで仏教や老の教えのような深い哲学のないこと、「具闡提」は筑前顕孝寺の開山闡提正具、「鮫珠」は真珠、「制」は浙江、「獅子峰頭の老幻住」とは中峰明本のこと、「藤」は禅界、「老道人」は馮子振の自称。
馮子振は元代中期きっての文化人で、広く経史その他に通じ、ことに詩文と書とを能くし、元朝に仕えて集賢殿の待制という役職にもついた。
他面、禅に傾倒し天目山の中峰明本と親交を結び、海粟道人と号した。
その書風は黄山谷のそれに近く自由洒脱で、在家の居士の書ながら、古来、禅僧の墨蹟と同格に扱われている。
無隠元晦は豊前の人で、入元して中峰明本の法を嗣ぎ、帰朝後、博多の聖福寺、鎌倉の円覚・建長二寺を歴任、建仁寺・南禅寺の住持ともなった。
晩年は豊前に帰って庵を結び、延文三年(1358)示
【寸法】本紙―縦34.0 横100.4
【所蔵】五島美術館