国宝。
元代の後半期に活躍し 「東南の大法幢」と称された了庵清欲が、日本僧的蔵主の求めに応じて書き与えた送別の偈。
「大乗仏教の玄旨、達磨禅の真髄なるものは、日常の行動の中に明々白々と現われており、その悟りの当体たる無位の真人に出会うには、相対いまだ分かれない世界に三昧力によって入り込み、理窟道理を離れて自得するほかはない。もしこの無位の真人に相見できたら、どこもかしこも仏身だらけということがよく納得され、大小・高低を超越したすばらしい働きを行ずることができよう。的蔵主は意識の根源に一刀を下して見性し、迷える凡夫の境涯から一気に悟りの境涯に入った。今や虎が角をはやし両翼をそなえたようなもので、さだめし驚天動地の働きをすることだろう」というのが大意。
了庵の書は元代の名書家趙子昂の書風を習ったもので、よく洗練され秀潤の趣に富み、千利休もこれを重んじた。
了庵清欲は別に南堂とも号し、台州の出で、幼少で出家し、ついに古林清茂の法を嗣いだ。
竺仙梵僊・石室善玖・かか月林道皎らと同門。
嘉禾の寿山本覚寺に住して名声大いに上がり、至正二十三年(1362)76歳で示寂。
その周辺には日本とゆかりの深い人物が多かったため、彼のもとを訪れる日本僧が多かった。
的蔵主もその一人であるが伝記は未詳。
【付属物】極書―月岑宗印・玉室宗珀・沢庵宗彭・江月宗玩証判
【伝来】松平不昧
【伝来】松平不昧
【寸法】全体 縦115.0 横86.0 本紙縦27.7 横73.8
【所蔵】東京国立博物館