
利休加刀 鴻池家伝来
略伝
初名四郎左衛門、宗淳、号は少庵、利休の後妻宗恩の連れ子との説あるが、系統の上では二男で家督を嗣いだ。父が処罰されるや、連座して会津の蒲生氏郷に預けらる。その後千家を復興、徳川幕府から五百石の扶助を受けた。慶長十九年(1614)九月七日、六十九歳で没。
茶杓
少庵作としては稀に見る厚手である。 利休が手直ししたせいかもしれない。添状の山科宗甫は少庵次子、宗旦弟。
筒
皮をのこした草削りで背面に大きな溝を見る。利休道安筒の多くは真筒であるが、少庵あたりから皮をのこした草筒の出現が考えられる。「矢瀬 少庵(花押)」という少庵書は漆書であるが、「矢」の字が「先」になり、漆書であることは湯治先の即興作として一応考うべきであるが、あるいは後年宗甫あたりが補修し、漆で墨を押え、そのとき漆が走って「先」になったと考えられる。
付属物
内箱 桐 白木 貼紙 書付
「矢瀬利休少庵両作、筒少庵書付山科宗甫添状」
外箱 桐 白木 貼紙 書付
「千少庵息宗旦令弟山科貝屋宗甫は山科大津道北側有住宅也」
添状二通 山科宗甫より寺尾弥衛門あて 覚々斎原叟筆
所載
茶杓三百選
寸法
茶杓
長サ17.9cm
幅0.5―0.95cm
厚サ0.25cm
筒
長サ20.6cm
径2.5cm


添状 山科宗甫筆
此茶杓ハ利休失瀬の
釜風呂へ湯治仕少庵
見舞ニ参り、折節宿ノ
竹ノたるきヲけづる則
此茶杓も利休なをし申候
親少庵語り申候。
七月廿日 宗甫(花押)
寺尾弥衛門様


添状 覚々斎原叟筆
利休少庵両作之
茶杓銘矢瀬
耀去米
与アリ。筒少庵作。
宗甫添状、何も無紛
物ニ而候。尤近頃希
成茶杓二候。御秘蔵
可有之候。恐惶謹言。
千宗左
二月中旬 覚〃(花押)



