肥前陶磁史考 平戸系 三川内窯 平戸松浦氏 平戸松浦氏は、又唐津の波多氏、有田の有田氏、伊萬里の伊萬里氏等と同じ松浦氏の分系である。源太夫判官久の孫披、始め上松浦川西の峰邑に在りて峰五郎と稱せしが、治承元年(1177年)巖谷(東松浦... 2024.07.23 肥前陶磁史考
肥前陶磁史考 藤津系 嬉野窯 嬉野氏 藤津の莊嬉野は、正曆五年(995年)大村直澄が彼杵、高木、藤津の三莊を支配せし當時の領地にて、以前は其支族の大村氏を能古見に配し、嬉野氏を嬉野に居らしめて東西の兩鎮とした。抑も嬉野氏の祖先は、... 2024.06.26 肥前陶磁史考
肥前陶磁史考 武雄系 武内窯 塚崎 武雄は舊名塚崎(又柄崎或は墓崎と書きしものあり)稱し、肥前國杵島莊の主宰地にて開地頗る古く、此處の武雄神社の如きは聖武天皇の天平七年、仲哀天皇外三座を奉祀せるものにて、今より千二百〇一年以前の宮... 2024.04.18 肥前陶磁史考
肥前陶磁史考 唐津焼 椎の峰窯 神代に天日槍の歸化ありて、其時從へる者近江の鏡谷製陶せし由傳へらるゝも、太古の事蹟は茫漠として定むるに由なく、故に我邦に於ける韓系の製陶として最古の歴史を有するものは、肥前國上松浦の唐津焼を以て始祖と... 2024.03.27 肥前陶磁史考
肥前陶磁史考 肥前陶器の史外編 肥前陶史の本編は、朝鮮直系の開窯地を主とせしものなるを以て、それに係はりなき製陶地や、又關はり薄き處や、或は其何れも不明の陶山を一括して、別に外編として掲載することゝしたのである。 肥前の製陶は、頗る... 2024.03.23 肥前陶磁史考
肥前陶磁史考 秀吉の朝鮮出兵 宗室の阻諌 秀吉が出兵を企圖する其以前に於いて、彼の内命を受けし鳥井宗室(博多の豪商に徳工門重勝と稱す。元和元年卒七十七才)が普く韓土を視察せし結果は、此企圖が甚だ不利なるを認めて頻りに阻諌せしも、秀... 2024.03.20 肥前陶磁史考
肥前陶磁史考 日本陶史年譜 其の参 景延と唐津窯 同天正十三年(1585年)八月十一日、筑後守景光卒(七十三才)せしが、長子四郎右工門景延又父に劣らぬ名陶家であつた。或時肥前唐津の浪士森善右工門なる者久尻へ来りし折、此地窯式の拙なるを難... 2024.03.16 肥前陶磁史考
肥前陶磁史考 日本陶史年譜 其の弐 鎌倉北條時代=加藤景正 後堀河天皇の貞應二年四月(1223年)、深草の陶工加藤四郎左工門景正なる者ありて、越前國永平寺の開祖道元禪師(承陽大師建長五年八月二十八日寂五十四才)の入宋に從ひ天童山に至り、... 2024.03.15 肥前陶磁史考
肥前陶磁史考 日本陶史年譜 其の壱 我邦民族の種別 我邦の陶史を記述するには、先づ有史以前の民族について、概念的にも其發祥を辿る可き必要が生じて来る。元來我が日本島國がもと亜細亜大陸の一端なりしことは、マンモスの如き動物の遺骨や、平戸野... 2024.03.15 肥前陶磁史考
肥前陶磁史考 人類と土器づくり 原始人と土器 青銅器時代以前に人類が土器を作っていたことは非常に遠い話だが、ネアンデルタール人(25万年前)の前期旧石器時代の長い原始生活がようやく終わったことが、今になってわかる。クロマニヨン人やグ... 2024.03.09 肥前陶磁史考