龍巌徳真 無夢の偈 りょうがんとくん むむのげ

龍巌徳真 無夢の偈
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鶴田 純久の章 お話

重文。
元代の著名な禅僧龍巌徳真が、日本僧無夢一清の請に応じて「無「夢」の道号を頌じたもの。
冒頭にまずこの偈をつくった所以を二行に記し、次に七言絶句の一偈を書いている。
その大意は「至極の大道に体達し至人には、一点の雑念も妄想もない。
ところで元来、夢や寝言というものは、心の迷いや雑念妄想から生まれるものである。
したがって至人には夢や寝言のあろうはずはない。
至人はわずかの時間ながら何もかも忘れぐっすり眠る。
そして時刻を知らせる太鼓の音を数え、夜明けの太鼓と知れば身も心もさわやかに起床し、今日一日の営みにとりかかる」。
奔放自在、堂々たる風格のうちに淡々とした清韻を漂わせた一幅で、いかにも名利を超越した屈託のない古徳の面目躍如としている。
至順二年は西暦131年。
龍巌示寂の年は未詳であるが、自ら「老巌」と書いている点や書風からみて、晩年の作と推定される。
龍巌は竺田悟心・清拙正澄らと同じ愚極智慧の法嗣であるが、廬山の東林寺に住し、諸方からの招請にも応ぜず、自然を友として悠々自適し、「楽間の歌」をつく たという程度しかわからない。
無夢一清は玉溪慧椿の弟子で、入元して東陽徳輝の門に入り、諸方を遍参して滞留約四十年、帰朝後は備中の宝福寺に住し、のち東福寺第三十世住持となり、正平二十三年(1368)示寂。
月江正印からは「無夢の歌」(梅沢記念館蔵)を贈られている。
【寸法】全体 縦125.2 横96.0 本紙―縦3.3 横93.7
【所蔵】根津美術館

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