常慶 じょうけい

楽家二代、宗慶(阿米夜とは別大)の次男。初名与次、のちに吉左衛門。宗慶と名乗ったが、さらに常慶と改名。十代旦大の書通に「二代目聚楽の瓦仰付候節、楽の印判豊公より拝領仕候、以来聚楽焼と唱へ申候(中略)二代目も拝領印と大印と

左入 さにゅう

楽家六代。京都油小路の大和屋嘉兵衛の二男で、柴家に大り宗大の養子となりました。 初名惣吉、のちに吉左衛門。1728年(享保二二)に剃髪して左大と号しました。 千宗左から左の一字をもらったのであるといいます。 その赤釉は柿

光悦 こうえつ

桃山・江戸初期の芸術家。 1558年(永禄元)生まれ。 姓は本阿弥、通称次郎三郎、自得斎・徳友斎・大虚庵の別号があります。 室町幕府の刀剣奉行妙本阿弥八代光二の長男。 のち父と共に本阿弥別家を立て、京都本阿弥ヶ辻に住み刀

乾山 けんざん

仁清・乾山・木米の三人をわが国の三大陶工とします。 乾山は姓を尾形、名を惟允、通称権平といきました。 乾山の号は初めて窯を築いた鳴滝(京都市右京区)の地が皇城の乾の方角に当たっていたことから付けられた。 名は深省、尚古斎

空中斎 くうちゅろさい

姓は本阿弥、名は光甫。 光悦の孫、光瑳の子。 空中斎は号。 刀剣鑑定磨礪浄拭の家業に長じていたばかりでなく、祖父光悦の風に似て茶・香を嗜み、絵画や彫刻をよくし、さらによく陶器を製しました。 その技は光悦に劣らないほど巧み

雨雲 あまぐも

黒楽茶碗。光悦作。重文。黒釉の景を雲脚の速い雨雲に見立てて覚々斎が命銘。総体に丸造りで、口縁一部が端反りになっています。やや薄造りで、口縁は切回しの口箆鋭く、胴には竪箆がみえます。ノンコウ風の漆黒の釉が胴に刷かれ、ところ

空中芋頭水指 くうちゅういもがしらみずさし

本阿弥空中作。この水指は手造りで、素朴な薄釉がかかります。焼けの柔らかな感じで、外面に箆で皮をむくように何段かの帯を削り出し、これがかえって本職陶工の思いもつかぬ効果をあげています。べた底に特有の釘彫りで「空中」の銘があ

夏月 なつづき

本手蕎麦茶碗。井戸茶碗のそばに位し、井戸とともに焼成されたとする説もありますが、形姿には明らかに茶人の好みの反映がみられ、これも大きな意味での御木と考えることができましょう。蕎麦は形体に特色があります。高台まっすぐに立ち

雪峰 せっぽう

赤楽茶碗。光悦作。重文。光悦五種の内。銘は、白釉のなだれを峰に降り積む雪と見立てたもので、箱書も光悦自筆です。口で抱えた鉄鉢風の丸造りで、高台内の扶ったような箆取りや大火割れは、温和な姿に鋭さ、激しさを加えて、光悦の人物

七里 しちり

黒楽茶碗。光悦作。名物。名碗「不二山」風の角造りで、共通した作行きです。造りは薄手で、口造りや底を箆で一文字にとっています。光沢の美しい漆黒の釉の中に、釉切れと鼠色にカセがあり、ひとしお風情を加え景をなしています。竪箆が

加賀 かが

赤楽茶碗。光悦作。重文。光悦七種の内。もと加賀にあり、仙叟の所持により命銘。角造りの代表作で、ことに光悦得意の箆使いが随所によく発揮され、造形における光悦の特色が端的に現われています。全体がわずかに内側に抱え込むように傾

破衣 やれごろも

松平不昧が江戸の干柄清右衛門のためにつくった赤楽茶碗で、土は出雲国(島根県)のものであります。その添掛物に「応所望茶碗一つ造之進申候破衣と名付候やれ衣見ぐるしけれど是一つあか茶碗とはいふもことはリー笑々々一々菊月11日千
本阿弥光悦 kouetsu 解説